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2010.11
23
(Tue)

芸術の秋「河井寛次郎」 

編集中は無性に甘いものがほしくなります
貝殻もなかの餡モノ、キットカットにロールケーキとつねに甘味はストックされています
今日の昼食は根雨町のふわふわ玉子のカツ丼かトマトベースのポリタンか迷ったあげく
安来市広瀬町の「喫茶まーるい」のナポリタンに決める

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広瀬ショッピングセンター横にある外観は普通の喫茶店「まーるい」

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”じゅ~”といわせて熱々鉄板プレートに目玉焼きがのったナポリタンが運ばれてきました
トマトケチャップベースの甘みにお好みでタバスコの辛み、パルメザンチーズをかけて食します
これぞ至福の昭和の味。
本誌で紹介した鳥取県智頭町の「茶樹里」のナポリタンにはおよばないが
「喫茶まーるい」の味もなかなか、そしてここの日替わりも旨い。

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今日は島根県立美術館で開催されていた河井寛次郎展の模様を紹介します

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今秋は安来市出身の河井寛次郎生誕120年にあたる年
それを記念して京都国立近代美術館、河井寛次郎記念館より多数の作品が里帰り
一目見ようと大勢の人々が観覧されていました。

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写真は寛次郎と川勝堅一
川勝は高島屋の宣伝部長時代に寛次郎と出会い、百年の契りをかわし支援者となった人物
後世に最高のものを残そうと窯出しから二人で選び抜いた作品群を「川勝コレクション」といい、京都国立近代美術館から初めて山陰にやってきました。

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棟方志功作「鐘溪窯之神」
京都五条坂鐘鋳町にある寛次郎の登り窯「鐘溪窯」
棟方は寛次郎のことを「鐘溪窯之神」「大師匠」と仰ぎ、
自らを「小弟子」と称して師弟関係を超越した存在
この力強い筆遣いに棟方の寛次郎への思いが込められています。

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大正11年作「青磁孟」、大正15年作「紅壺」
中国や朝鮮の古陶磁に倣って伝統的な陶磁器を発表した寛次郎三十代の作品
実作をしのぐ完成度の高さから国宝的存在と識者から絶賛された前期時代

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昭和5年作「青薬合子」
酸化焔の緑からコバルトブルーとなんともいえないオリエントの雰囲気が漂う美しい色彩
太古の遺物のような釉のかすれにモザイクタイルのような釉薬の割れ
これはわたしが時間を忘れ魅入ってしまった作品。
寛次郎は人間国宝を最後まで固辞した陶工
松下幸之助が「お前が人間国宝をもらってくれるまでわしは帰れない」といいより
「わたしがもらう前にもらうべき人はたくさんおられます」と軽くいなした寛次郎

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賞や名誉というものにまったく興味を示さなかった寛次郎本人が知らないうちに
川勝が手持ちの作品を国際展に二回応募し、その二回ともグランプリを受賞
この「白地草花絵扁壺」は1957年ミラノ・トレンナーレ国際工芸展グランプリ作品
軽く世界でグランプリを受賞してしまう作品力、
寛次郎が意識的に応募していたら世界の工芸界はどうなっていたのでしょうか?
いつか寛次郎作品が国宝指定になるのを祈るばかりだ!

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柳宗悦、浜田庄司と共に「民藝運動」を始めた昭和初期
「用の美」を追求した作風に変わります。
写真は昭和13年作「辰砂丸紋四方壺」と「辰砂扁壺」
右の「辰砂扁壺」の側面、丸紋のまわりを落書きのように描かれたラフな筆つかい
用の美を実践しながら実験的な試みが見受けられる作品に寛次郎の喜びを感じる。

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実験的アプローチから生まれたであろう作品、昭和37年作「打薬扁壺」
釉薬を直接筆などでしたたらせる「ドリッピング」という技法
この頃から全く独創的な造形、無定型の世界へと進んでいきます。
濱田庄司は「河井寛次郎ほど陶器の手法を鮮やかに使いこなし、
それだけに形や色も絶えず新手を工夫した陶工も稀だろう」と述べています。

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寛次郎は陶工としてだけでなく「言葉の表現者」としての魅力を放つ
昭和30年前半作「非草非人非木」「クサニアラズ、ヒトニアラズ、キニアラズ」
「茶の湯、型にはまったお茶はお茶にあらずといい、形式の中から新しい発展はない」と
京都民芸会の新年会のクイズとして提出した作品。
現在の疲弊している日本社会へ、わたし自身にも自問してしまうほど考えさせられた言葉。

寛次郎の言葉には作家・井上靖、橋本喜三、ジャーナリスト筑紫哲也など多くの文化人が影響を受けています。
その中で作家・井上靖の言葉でこの頁を締めたいと思う
「私は何回か、「河井寛次郎論」を書こうと思ったことがある。雑誌社から求められたこともあれば、自分だけで思い立った場合もある。しかし、それを果たさないで今日に至っている。結局のところは書けないのである。氏の無類の美しい人柄について語ろうとしたとたんから、氏は逃げてしまう。作品も同じである。それがいかに素晴らしいものであるか、それを語るいとぐちを求めようとしているうちに、そうしたことが無意味なことに思えてくる。氏の作品は、それが大きいものであれ、小さいものであれ、例外なく、でんとして、そこにあるだけである。美しいでしょうとも、静かでしょうとも、きよらかでしょうとも語ってはいない。作品はだまっている。どうとも受け取ってください。自分はここにこうしているだけです。僅かにそんな作品のこころが、こちらに感じられてくるだけである。
「河井さんのこと」(昭和55年、朝日新聞社「河井寛次郎作品集」)から



コメント

ボス埋没?! 

ボス、完全に炻次郎にはまっちゃいましたねぇ。
炻次郎の人間力の凄さは、知れば知るほど深みにはまる。。。
ボス、ボス、ボス、ボス・・・・(これ、埋没していく音)
失礼しました (◎-◎;)

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